介護は双方向


自分の思いは相手に届いている?





私たちは、上手く行った事や長い目で見たら失敗だった経験をお伝えする事は出来ても、無責任に私がこうだったからこうなる・こうした方が良いとは言えない。




そんな中で、介護を通して妻と向き合って来て思うのは、一方通行の思いでは今日まで続けて来られなかったと言う事。




そばに居て欲しい/離れたい




離れて欲しい/そばに居たい




AよりもBが心配




BよりもCが心配




以前も書きましたが、当事者は妻であって私ではありません。




私がどんなに理解したつもりでも、別の病気で妻と同じ状態になっても解りきれないと考えています。




意識疎通が無くなった今でも、その前提は意識しながら代理として担当医や訪問介護、行政担当とはお話しをさせて頂いています。




不安や心配事の共有は大事だと信じています。




今の時点で何が不安を知る事で『それならこうしたら、ここまでなら出来ると思う』や『それよりも、私はこっちの方が嫌かも』と正面から向き合う時間を作る事が出来ました。




私が1番身構えていた他の人には出ている症状が妻には目立って現れなかった事もありました。




逆に年数が経つ事で治ると思っていた症状が長引いて思わぬリスクを生じてしまう事もあります。




その時に話し合って結論が出る訳ではありません。




また、出よう筈がありません。




だからこそ、相手との接点を日々探すしか無いと思います。




これは、介護だから病気だからでは無いと思います。




妻との取り引き





妻には、辛い思いはして欲しく無いしそれで嫌われたく無いけど施設よりかは出来る限り一緒に居て欲しいと言われました。




私は妻が出来る範囲の予防やリハビリを頑張るならとその希望を受け取りました。




そして、全介助になるまでの期間、頑張ってくれたので今はそれに報いています。




妻と私が思う精一杯や目一杯は違うと思います。




ならば、私の精一杯は私に決めさせて欲しい。




私の精一杯は、日によって違います。




器から溢れる日もあれば底が抜けているみたいに余裕な日もあります。




向き合う態度は違いますが、それは妻には関係無い話しです。







心の声





・病気関係無く妻のそばに居たいから居る。




・どう看取ってあげたいかは考えるけど、待ち望んでは居ない。居ないと思う。居ないんじゃ無いかな。

ハンチントン病の介護者's Ownd

別のブログサイトで書いていた記事を転記しています。 新規記事は、連携している(https://ameblo.jp/hantintonkaigo)にて公開しています。

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