(転記)入籍の記念に


形は残したい

ハンチントン病の発病が判ってから入籍を行った為、急変などご迷惑を掛けると思い結婚式は行わなかった。

また、当時私はホテルのフロントマン兼送迎バス担当をさせて頂いていて、妻も高卒から暫く披露宴会場の給仕担当をしていた経験から、式を挙げる気力が湧いて来なかった事と私の立場的に勤め先で挙げるのは申し訳なく思った。

勤め先のホテル以外でする訳には行かないので、全ての段取りを私が行う予感がした事も否めないが・・・。

そこで、ブライダルを得意としている系列ホテルに貸衣装と着付け師さん、カメラマンさんそして撮影会場を段取りして頂いた。

打ち合わせで2人の衣装を確認させて貰ったが、ご好意で妻はピンクと純白のドレス2着を貸して貰える事になって凄く喜んでいた。

一方、私は同期に呼び出されて、シークレットブーツだけではバランスが取れない事を確認され、打ち合わせ票に赤ペンで箱馬(木製の台)必須と大きく書かれる屈辱を味わされていた。

撮影当日、前の日からの雨を引きずっていたが気にならないくらいウキウキしながら車を走らせて、予定通りの時間に会場に着いた。

妻は、玄関を抜けて直ぐに着付け師さんに着替え部屋へ放り込まれ、されるがままに着付けと化粧をされていた。

私は、それを横目に見ながらコーヒーを飲んでいたら凄く怒られた。

妻の着付けも終わる頃、私も呼ばれサービス業で表に立つ時以上にビッチリした髪型にされて撮影会場に通された。

緊張の記念撮影

そこには、「貴方は誰ですか?」と言うぐらい変わり果てたもとい綺麗になった妻がソロの撮影を始めていた。

準備をしている間に雨も上がり、カーテンから零れる光がより一層輝かせていた。

ソロが終わると私も呼ばれ、しっかり段取りを把握している出来るスタッフが私の足元に箱馬を置いてくれた。

本当にバランスが悪いのか納得行かなかったので、乗らない状態で1枚撮って貰い確認させて貰った。

納得して駆け足で箱馬に飛び乗り、撮影を続けて貰った。(因みに、妻の方が10cmぐらい背が高い)

最初は、2人とも表情が硬かったが、カメラマンさんを始めスタッフの皆が良い雰囲気を作ってくれたので、自然な笑顔で撮影をする事が出来た。

不思議といつもは長時間立っているとフラフラする事があったのだが、この日はその症状が全然出ず、全ての写真にピントが合っていた。

お色直しを挟み、2着目の撮影も終え、ひと通り作業が終わりるとその場でアルバムにして貰う写真を選び、表紙とそれぞれの実家に渡す分、そして手元に置く用に3冊の製本をお願いした。確認作業が終わった所で合計金額を聞いた。提示頂いた金額は申し訳無くなるぐらいのものだった。

社長さんと同期もそれでと言ってくれたので、銀行に行く事無く有難く安物の二つ折り財布に入っていたぐらいの提示金額を支払い、少し混んでいたけどレストランで食事をさせて貰ってから帰宅した。

夫婦として初めての帰郷準備

2週間後、製本されたアルバムが手元に届いた。

アルバムを開けると私たちが選んだ写真とは別に、プロ目線で選んで頂いた3枚が含まれていて、有難くて涙が出た。

ホテルと着付け師さん、カメラマンさんには後日、地元のお菓子を持ってお礼に伺った。

これで、夫婦の挨拶をする準備が整ったので、2人の休みを合わせて帰郷する事にした。

帰郷する時に見える車窓は違って見えるのだろうか。



心の声

・現在、遺影候補にしている妻の写真は、この時に撮影したピンクのドレス姿のソロショットです。当時のスキャナーでは上手く取り込めなかったので、カメラマンさんには無理を言ってデータを頂きました。
・また、余談ですが。気のせいだと思うのですが、この撮影会後暫く、私の休みの日に限って系列ホテルから送迎バスの応援依頼が来ていました。気のせい、気のせい。

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別のブログサイトで書いていた記事を転記しています。 新規記事は、連携している(https://ameblo.jp/hantintonkaigo)にて公開しています。

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