妻の不安感に対抗する
拭えない不安感
ハンチントン病を告知されてから、妻は先の見えない不安感と戦ってきました。
声が出ていた頃は泣き声や呻き声で訴え、私が視界に戻って来て軽く声を掛けると収まると言う事を日々繰り返していた。
なんでそんなに泣くのかと聞くと「捨てられたと思った」とよく言っていた。これは、どんなに声を掛けても否定をしても払拭出来ない物だと悟った。
言葉を失った今でも、私が席を立とうとすると不安そうな、恨めしそうな顔でジーっと見ていた。
また、眉間に顔中からシワを集めた様な顔をして心なしか手足の動きが激しくなる。全身で抗議をしているのだろう。
約束①
そんな不安を消す方法は何か無いかと話しをする中に、安心して過ごせた今日と同じ事を毎日繰り返して欲しいと言われた。
全く同じ日を毎日過ごす事は出来ないので、確実に出来る『頬とオデコにキスをする』と言うルールを作り、毎日何かしらのタイミングで行う様にした。
現在でも癖付いているので、私が仕事に行く前には必ずルールを実行して家を出る。
当時、本人の意思と口で作ったルール。それを守る事で不安に対抗しようとしている。
約束②
妻が一番不安に感じる時は、寝る前の暗い空間を見ながら色々と考える時間だと言っていた。
その日から同じ布団で寝る様に替え、足や手が必ず触れている様にして寝始める事になった。
妻は安心して寝ている様だったが、正直、私は不随意運動が気になって寝る事が出来ない日々が続いた。
妻の足を私の足でロックしたり、腕枕をして空間を空けてみたり色々と試したが結局、慣れと言う究極の解決法をマスターするしか無かった。
全介助になった今でも、この約束は続いている。しかし、妻は介護ベットと褥瘡予防の特殊マットを使用しているので、残念ながら私もそれに寝る訳にはいかない。
そこで、幅の狭い(60cm)の折り畳みベットを購入し、妻の方には汚染防止の処置をしてから掛け布団と毛布の大きいサイズを使用する事でセミダブルぐらいの就寝スペースを確保した。
介護ベットも低床タイプを使用する事で、枕を同じ高さにする事が出来た。また、段差も無く手を握る事も出来ている。
分かりにくいが薄緑は妻、白が私のスペース
約束③
妻からのリクエストで、態度だけでは解らないと言う事もあった。
そこで、月2~3回は同じ言葉を繰り返してそばに居る事・居続ける事を示している。
文言も書こうかと思ったけど、後々地面を転げ回って後悔しそうなので止めておく。
そんなに甘くはない現実。けど、
他の方々も発信されている様に、付き添いや介護を続ける事は育児や仕事を続けるとは別の力が必要になります。
また、その人の事を想うだけでは割り切れない事も多々あります。
私の場合は、妻がハンチントン病の告知を受けてからスタートラインに立ちました。始めから家庭の基盤が出来上がり、未来を見ている中で突き付けられている方に比べたら気持ちの作り方は楽だったと思う。
結婚する目的が『彼女を1番近くで看取る為』と言うのは、なかなか理解して貰えない。「そんな女は捨てて、新しい人を見つけろ」と何度言われたか分からない(横にいたその人達の奥さんや彼女が激怒していたのが印象的だが)。私が言われた方だとしても、直ぐには理解出来ないとも思う。
それでも、私にとっての現実・リアルはこれしか無い。この現実を抜け出すには、妻を捨てるしかないと思う。
ただ、その現実を形成しているのは私だけでは無く、ご相談やご協力を仰げる多くの方々が居ればこそだと知っている。
そこに気づけなかったら、狭く浅い只々辛いだけの世界だったのではないかと考えると、心底ゾッとする。
近況
誤解を恐れずに表現するが、友人が介護うつで『壊れて』しまった。生真面目で、理路整然とスケジュールを重んじた信頼出来る人。
「もう介護を続ける意味が無い」と力なく発した友人の言葉に何も返せなかった。
ただ、心の中では「そんな事は無い!!」と叫んでいた。
心の声
・妻が言っていた安心出来る日を繰り返す。私自身も大事にしたい。
・介護に完璧はない。求めるべきではない。但し、それに近づける様に試行錯誤しないのはしていないと同じ。
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