(転記)子供について~子供を失って思う事~


新しい命と新しい環境作り





妻が自分だけの身体では無い自覚を持つ様に、私も妻だけをケアすれば良いと言う感覚からもう1つ上の感覚に上がっている事を自覚しながら、生活を作り始めていた。




同時に、グループ内の人事異動に伴い社長交代を1つのタイミングと考えて、仕事を辞して故郷に引き上げる旨をお伝えした。




有り難い事に、協力の申し出と昇給のお話しを頂いて残留を打診頂いたが、今後の事をお話しをして退職願を受け取って頂いた。




退職後、2人の実家のうちどちらの家に戻るか妻と話しをした。この段階では、どちらの家からも受け入れ可能と言われていたが、段差の問題や女親が居ると言う事で妻の方から私の家を選択した。




その旨をそれぞれに伝え、引き継ぎなどを含めて3ヶ月後に引っ越しを行う方向で動き出した。




それから、普通の方より間隔が短い検診を繰り返し、長袖を準備し始めた頃の検診日。




経過観察が終わった日





夜勤前の受診を行う為に、朝から準備をしていつも通り家を出た。前日には、大家さんが腹帯を用意してくれてどう着けるのか話しをしていた。




医院に着いて検査を終え、診察室のベットの上で横になる妻。その妻のお腹に聴診器を当てている医師の手が止まる。何時もより念入りに触診を行い、もう一度聴診器を当てる。時間の経過と共に顔が曇り始める医師の顔が付き添う私には良く見える。




何時も行っていたエコーの準備を行う看護師を制した事で全てを察した。持っていた携帯電話では、総合病院の電話番号を探していた。




妻を起こし、医師がゆっくりとした口調で説明を始めた。「簡単に言うと、母体の中に留まったまま成長が止まっています。」「残念ですが、このままお腹の中に留めて置くと母体も危ないです。」「力に成れず、ごめんなさい。」




その場では、私も妻も泣く事は無かった。妻は淡々と今後の説明を聞き、私は総合病院に連絡をして経緯と医師とベットの調整をお願いしていた。




医院からも連携を取って頂くことをお願いして、車に乗り込んだ。そのタイミングで総合病院からも受け入れの連絡を頂いたので勤務の引き渡しが出来次第お伺いしますと電話を切り、準備をする為に自宅へ車を走らせた。




最善が本当に最善だったのか





車の中では、入院道具で不足していた物を話して落ち着いていた妻。取り乱していなかったので、妻を一度自宅に降ろし、私は職場に向かった。上司に経緯を説明し、今日から4日間の有休を取らせて貰った。




20分後に自宅に戻ると部屋には電気が付いておらず、ベットで号泣している妻がいた。妻の傍らに寄り添い、私も泣いた。お互いの身体を支い合いながら、妻は何度も何度も「ゴメン」と繰り返した。掛ける言葉が見つからなかった私も「ゴメン」としか言えなかった。




泣きつかれた妻をベットに残し、妻を起こさない様に別室で総合病院に連絡をした。医師に繋いで頂き、痛みなどは無いが憔悴しているので明日の午前中に連れて行く旨のご相談をさせて頂き、ご了承を頂いた。




明日、すぐに出れる様に事前準備をしていたカバンを車に積み込み、気持ちを落ち着かせてから車内で両家に連絡を行った。両家とも明日中にはこちらに出て来ると言ってくれたので、病院の情報をメールで送り妻の枕元に戻った。




深い眠りについている事を確認して、妻が好きな鍋焼きうどんを作る為にスーパーに出掛けた。途中、人気の無い山道を越えて夏の賑わいから解放された海水浴場の駐車場で号泣した。妻に対して、子供に対して、親に対して号泣した。




そんな10月17日が過ぎて行く。







心の声





・ありがとう。そして、ごめんなさい。

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別のブログサイトで書いていた記事を転記しています。 新規記事は、連携している(https://ameblo.jp/hantintonkaigo)にて公開しています。

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