(転記)夫婦になったからこそ話せる
受け入れ、割り切り
夫婦になってから時間を割いて行った事は、ハンチントン病について改めてどう捉えているかを擦り合わせる作業だった。
籍を入れる前は気を遣いながらだったが、より具体的に話をした。現状を維持出来るにしても、ハンチントン病が進行するにしても2人で同じ方向を向き、言葉は違っても同じ感情で話せる事が大切だと考えた。
早い段階でこの考え方が出来たのは、JHDNという家族会から生の体験談を教えて頂いていたからこそだと確信している。
残酷だが、まずこの結婚生活のゴールを決めました。
私が元気に寄り添っている事を大前提に、どう最後を迎えたいか。
これを受け入れないと根幹の方向性を決められなかった。この話しをするという事は、妻からすれば夫の私から改めて【死に至る病】だと突き付けられる事になる。
そこで、まず私はどう看取りたいかを話した。その後に、私の気持ちを踏まえて妻がどう看取って欲しいかを聞いた。
その中で2人の気持ちが一致していた事は、【病院や施設ではなく最後まで一緒に家に居て欲しい】という願いだった。
この願いを実現出来る様にするにはどうするか、逆算をする事にした。
雑誌の占いページを参考に
病院や医療関係者、家族会からこういう事が起こる、起きそうという事を書き出して、自分たちなりに起こる順番を付けてみた。
【①家で最後を迎える】→【②肺炎になる】→【③食が細くなる】など箇条書きで書き出しながら今に向かって遡って行き、その番号一つ一つに現段階でどういう対処法があるかを枝付けして行った。
そこに、今の気持ちではどの対処法をして欲しいかを記録していく。
これには、妻だけでなく寄り添う『私はどうしたい』も記録しておき、遠い手前に居る今と近づいて来た少し未来とその時が来た遠い未来にこの記録を見直した時に、気持ちがブレない様に、又は気持ちの変化を受け入れる様に。
要するに、細かく考えていても状況次第には変えれるぐらいの物。2人が共有するお守りに近かった。
希望を持つという意味では、まだまだ研究が進んでいないという事は、病状が進む前に何らかの特効薬が出来るかもと思っていた。
しかし、今の段階ではそんな物は存在していなかったので、そういう物を使うかどうかの選択肢は入れなかった。
隅の方には書き込んでいたけど。
文章では伝わり難いので、本来であれば現物を添付した方が判り易いでしょうが、今まで何度も修正を加えたり愚痴や弱音が書いてある。
恥ずかしくてとても人様には見せられないw。
また、選択肢はご家庭の事情や周辺の環境などによっても変化する。
一緒に生活を行うという事でさえ、私達の様に自宅で生活するにしても2人暮らしなのか家族と合流するのか、施設をどういう風に活用するのか、これを機に縁を切ると無数にある。私達の様な逆算式の考えが纏まらなければ、無理にする必要は無いとは思う。
が、数行の日記程度でも記録を残しておくことはお薦めする。『あの時は想像もしなかった』とハンチントン病の個人の症状差に驚く事もあるが、手術や処置方法、予算と手続きが必要になる介護用品をスムーズに対応するには、必要な事だと実感させられた。
その場の雰囲気や今まで感じていた不安などを忘れて段取りし、実際に段取りを始めてみたら失敗してしまった事が大小何度もある。
先人には、巨木の様に決めた事を頑なに守られておられる方々を知っています。
しかし、介護・介助という台風に枝や幹を折られ、根ごと倒れてしまった方々も知っています。
私はそういう経験を伺う事が出来たので、巨木ではなく枝や葉っぱはまき散らすが折れる事無い竹でありたいと思います。
心の声
介護や介助が当たり前になり、日常になると会話が無くなる方が増えるそうです。
私も上記の様な事をしていましたが、会話が出来る内にもっと聞いておけば、知らせておけばと悔やんでいます。
それは、やっておけば良かったという後悔ではなく、今と未来に向けて話しが出来ない無念さからくるものです。もっと話しをしたいという寂しさからくるものです。
正直、以前は気の毒だと思っていたボードやPCの発語装置を使った会話、YES/NOを決めた意思確認が出来る方々が今は羨ましいです。
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