レスパイトを使って結婚式に参列


11月21日 受け入れ





自宅介護を行っていると家族の冠婚葬祭でも参加が難しくなります。




そんな中、昨年から予定していた従弟の結婚式が11月23日に長崎県で予定通り行われる事となりました。




こちらも色々と準備をする時間が取れたので、自宅から近い市立病院にレスパイトを打診する事が出来、心置きなく参加する事が出来ました。




受け入れ1週間前。風邪やインフルエンザを警戒して人の出入りを制限する為に訪問入浴もキャンセルして、清拭とベット洗髪で対応していました。




受け入れ当日。発熱を起こす事もなく、午前中には無事に受け入れ手続きを完了する事が出来ました。




妻の着替えや洗面道具以外に自宅でも使用している不随意運動を抑える拘束具と手とベットの柵の間に入れるクッション、足がモゾモゾして踵が擦れない様に浮かせるクッションも持ち込み引き渡しも完了した。




リクエストを出すのを忘れていたので、割り当てベットは廊下側だったのでラジオを上手く受信する事が出来ませんでした。WiFiの整備が進むとradikoが使える様になるので、ありがたいんだけどなぁ。




ここに置いてどこに行くの?睨む嫁っち




11月22日 





仕事が終わって妻の様子を見に行きました。




特別問題はなさそうでしたが、注入などの細かい調整を行い1時間位で帰宅しました。前日同様、帰る間際に睨まれていましたが、笑顔で手を振って振り切りました。




11月23日





朝4時起床。出発時間は6時でしたが、この日は約7時間のバス移動を経てそのまま式に出席を行う予定だったので、礼服のズボンとワイシャツは着用して合流場所へ移動しました。




妻と一緒に旅行やドライブを行う癖がついている為、荷物を減らすスキルが著しく低下している事に気付かされました。男性1名の1泊旅行でなぜ、コロコロの旅行カバンとパンパンのリュックサック1つの荷物になるのか今でも分かりません。




親類を順路に沿ってピックアップして行き、九州道に上がりました。合流のバタバタも特に無く、順調に北上をする事が出来ました。




福岡県の山川PAで何度目かトイレ休憩を行い、出発して暫くすると車の流れが悪くなり、とうとう止まってしまいました。




かなり前まで渋滞が続いている様なので、スマホで渋滞情報を確認すると数キロ先に事故のマークが付けられていましたが、後方からパトカーや救急車が路肩から抜いて行き、これから事故対応が始まる様でした。




運よく3台前にインターチェンジがあったので、そこから高速を降り地道で移動する事になりました。(落ち着いてから調べてみると、車3台の事故だったらしく死亡者は居なかったものの1時間以上通行止めだったそうです)




死亡者が居なくて本当に良かった




運転手さんの機転と同乗していた運送業の親類のお陰で、ほぼ予定通りに会場入りをする事が出来ました。




挙式は本格的なチャペルから始まり、双方の友人知人が盛大に盛り上げてくれ、親族交流に専念出来るとても良い物でした。




個人的にはシャンパンの間に頂いた長崎名物『チリンチリンアイス』の屋台の記憶と、大学友人らの余興の記憶しかありません。




  • 長崎では定番?らしい
  • 3個頂きました




式が終了すると宿泊予定のホテルにタクシーで移動したのですが、道中やたらとパトカーが目に付きました。運転手に聞くと数日前からローマ教皇訪日に備えて警戒は始まっていると言う事でした。幸いにも、宿泊するホテルが面している道路は交通規制の対象外と言う事だったので安心しました。




ホテル到着後に親族だけの軽い打ち上げを行い、翌日に備えて就寝する事にしました。数十年振りの親父と2人部屋。これが1番気を使ったかも知れません。




11月24日





早朝5時に起床し、親父を起こさない様に着替えて外出。




散歩を兼ねて早朝礼拝を行っている教会まで散策。ここでも警察官やパトカーが巡回を行っていて、怪しい行動を控えようとする行動が怪しさを醸し出していました。




8時過ぎにホテルに戻り朝食を終えてから、9時30分出発前に希望者だけのグラバー園散策に出掛けました。




ホテルを出る前から降り始めていた雨は段々と雨足が強くなり、雷も鳴り出しました。そんな中、遅れていた親父からひと言。「バス運転手から連絡があって、バスが故障したらしい」。




取りあえずみんなには散策を続けて貰い、親父と数名だけは先にホテルに戻り、バスに置いていた荷物の受け渡しを行いました。




10時に連絡があり、12時30分に地元バス会社が迎えに来てくれるのでそのバスで島原市雲仙まで移動し、そこから高速フェリーで熊本に渡り、当初手配していたバスに乗り換えると言う予定に変更されました。




この時、ため息をついた大多数の中でドラクエウォークをプレイしている私を含めた少数が、『お土産アイテム』がゲット出来るかもとガッツポーズをしたのは秘密です。




結局、お昼に来てくれたバスに荷物を詰め込んでフェリー乗り場に移動。そのバスは私たちと一緒に乗船しないという事で、手荷物としてフェリーに乗船させて頂きました。




船内も綺麗でした




乗船中は各々ゆっくり過ごす事が出来、バスに手荷物を移す際にも大きなトラブルは起きませんでした。流石に、帰りのバスの中は寝息しか聞こえませんでしたが。




遅めの昼食にみんながうどんやラーメンを食べている中、私だけはレアステーキを食べて元気をチャージさせて貰いました。








真っ暗になってから自宅に戻ってきましたが、妻の顔だけは見てきました。




受け入れをして頂いた時と同じ介護浴衣を着ていたので、様子を見に来られた看護師さんにチクッと確認をして帰って来ました。




また、改めて迎えに来るので待っていて下さい。







心の声





・結婚式の部分、少なくない?。




・お酒は沢山呑めた。




・船旅は久々。気持ち良かった。




・雲仙のお土産アイテムはゲット出来ず。だけど、グラバー園はちゃっかりゲット。

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別のブログサイトで書いていた記事を転記しています。 新規記事は、連携している(https://ameblo.jp/hantintonkaigo)にて公開しています。

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