(転記)子供について~子供を弔って思う事~
感傷に浸る暇も無く
点滴を続けながらも眠りに着いた妻を残し、分娩室を出て看護師さんと事務員さんと今後についてお話しを行った。
事務手続きとしては、死亡届けと火葬許可が下りた後で無いと亡骸の引き渡しは出来ない事。引き渡しの際には亡骸を納める箱が必要である事。そして、病院としては直接関与する事ではないが、ご供養をされるのであればそちらも平行して段取りをされた方が良い事を教えて頂いた。
まず、亡骸を納める箱は既に段取りしていたので問題は無かった。
次に、届け出を行う為に市役所に行かなければならなかったのでその場を両家の親に託して動こうとした所を制された。
気が動転している状態で運転をするのは危ないと言う事で、道に不慣れだが私の父が運転をする事になった。
段取りの確認を行っている間に妻が病室に戻って来た。目は開いていたので、「秋人を迎える準備をしてくるね」と声を掛け、私の母と義父に妻を託して父と病院を後にした。
車で片道1時間。特に話らしい話をする事もなく、借家に着いた。大家さんに現状を伝え、申請に必要な物を確認して市役所へ向かった。
折角なので
市役所へ出発する前にも大家さんに声を掛けた。
用件は、葬祭場関係の知り合いが居ないかと言う事。流石に居ないかなとダメ元だったのだが、携帯を取り出してどこかへ電話を掛け始めた。そして、ものの数分で斎場を抑える事が出来た。本当に心強かった。
但し、問題になったのが送り出す為の宗教だった。
私たちは当たり前過ぎて何とも思って居なかったが、私たちが住んでいる県は日本神話が色濃く残る地域で、結婚式やお祭り以外でも民間神道が一般的な地域だ。通夜から葬儀、一年忌・三回忌・・・に至る事もお寺ではなく神主さんを呼んで神事として行っていた。
大家さんに、その様な事をしてくれる神社を知らないかとお尋ねをしたが、その様な葬儀には参列した事が無いので判らないと言う回答だった。
市役所に行く途中に葬祭場があったので、立ち寄ってその件もご相談をさせて頂いた。葬祭場の方もその様な送り方はした事が無いと言う回答だったので、自分たちで段取りを行う事にして手続き後の受け入れをお願いした。
市役所に着き、父には休んで貰う為に車内に残した。
手続きを始めてまず驚いた事は、死産届けを出す為にまず出産届けを提出しなければならない事だった。名前や出生を確定する為には必要な事なのだろうが、一連の流れの中でこれが一番イラっとしたかも知れない。
後は指示されるままに書類を記入して行き、無事に手続きが完了した。
心穏やかに
病院に戻り、看護師さんに書類を確認して頂いて問題が無かったので、妻の状態次第で引き取る事になった。
妻の強い要望で状態が安定している事を確認して丸2日の入院で退院する事になった。見送りが終わった時点で、病状ケアを含めた再入院を行う事が前提だったが。
預けていた小さな箱に息子を納めて頂き、返却して頂いた。お渡しした時より気持ち軽くなっていた事が逆に居たたまれない気持ちになったが、酔うといけないので箱をお腹で押さえて手の震えを止めていた。
一度借家に寄り、大家さんにご報告をした。出発前同様、妻を温かく抱きしめてくれた。
息子が納まっている箱を持ちながら一部屋一部屋説明をして、2人で寝ているベットに腰かけてた風景を見せてから借家を後にした。
斎場には大家さんから連絡をお願いしていたので、私たちが到着する時にはスタッフの方がお出迎えをして頂けた。
先に神事だとお伝えしていたので、調べてくれていて小さな祭壇を用意して頂いていた。
小さいと言っても立派な祭壇
神主さんは、私が仕事で懇意にして頂いていた八幡宮の方に無理を承知でお願いをした。式の流れは父と義父が説明を行い、その間に母が供え物を用意していてくれた。
式を行う前に、皆で秋人を一目見る事にした。気丈に振る舞っていた小さい、本当に小さい息子を見て妻も涙を流しながら別れを告げていた。
息子:秋人に玉串奉奠(玉串をお供えする事)を経て、自分たちの車だけで火葬場へ出棺を行った。
皆様のご厚意で
火葬場まで足を運んで頂いた神主さんに再度お祓いをして頂いて、人生で初めて窯の火を入れた。
火葬場の受け入れを担当して頂いた方は、ホテルの利用者でとても驚いて居られたのが印象的だった。事情を話すと「頑張ってみる」と言って、事務所に戻って行かれた。
大人の方よりか短い火入れを終えて集骨に向かうと、殆ど灰にならず小さい骨壺一杯の御骨が残っていた。本当に有り難い。
集骨を終え斎場に戻ると丁寧に迎え入れて頂き、改めてお祓いをして頂いた。
斎場を引き払い、自宅に戻ると部屋の隅に新しい板で出来た棚が用意されていた。大家さんの旦那さんが用意していてくれたそうだ。そこまで気が回らなかったので、本当に有り難かった。
夜は、病み上がりの妻に息子を託して私が勤めているホテルに行き温泉で疲れを癒して貰い、借家で食事を行った。
あの日から
夏の日差しも少なくなり、秋の気配が強くなった10月13日の日曜日。引き寄せで、お墓で節目の祭事を行った。
この日に合わせて妻の体調を調整して、近所の墓地まで車いすで移動をした。庭先では飼い犬が、「なんか懐かしい匂い?」と熱心に妻の匂いを嗅いでいた。
- この人、知ってる?
- 供養の祭事
- お参り
地元神社の神主も合流し、式が始まると陰っていた太陽が顔を出し始め、少し暑いぐらいだった。
妻も参拝出来る様にバリアフリー仕様に改修したお墓にお参りをして、次の年も一緒にお参り出来る様に見守って下さいとお願いをして、墓地を後にした。
自宅に帰る途中で販売しているソフトクリームを2人で食べた。
心の声
・御骨をお墓に納める決意が出来たのは、50日祭(佛式の49日)直前。
・ついでに散歩もしたら、日焼けして顔や腕が少し赤くなっていた。
・うちの県には天孫降臨の地や東方遠征出発の地、海幸彦・山幸彦の舞台など神話がゴロゴロ。
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